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佐多六とシロ

昔、草木(くさぎ:現在の鹿角市十和田草木)に佐多六(さたろく)と言う「マタギ」 (猟師)がいて、彼は、日本中どこの土地でも猟ができる巻物(免状)を持っていた。これは、佐多六の先祖が源頼朝公の富士の巻狩りで手柄をたてたことから、南部の殿様からもらった巻物であり、全国での狩猟が子孫代々まで許される天下御免のマタギの免状であった。

 

佐多六は、“シロ”という名の、とても賢くて主人思いの秋田犬を猟犬として飼っていた。

ある年の2月、冬の日としては珍しく晴れた日のことであった。佐多六はシロを連れて猟に出かけた。四角岳(現在、秋田県と岩手県の県境の山)のふもとまで行ったときに、岩の上に大きなカモシカを発見した。佐多六がカモシカを狙って鉄砲の引き金を引くと、カモシカはその瞬間棒立ちになったが、雪のうえに点々と血を流しながら、すぐに逃げて行った。佐多六とシロは血の後をどこまでも追いかけていき、気がつくと、いつの間にか鹿角と青森県三戸の境の来満峠まで来てしまっていた。佐多六は、カモシカの血の跡が峠の洞穴で消えていたため、鉄砲を洞穴に向けて一発撃った。そのとき、三戸の方から来た5人の猟師達が「そのカモシカは俺たちが先に撃ったのだ。俺たちのものだ。」と強く迫 ってきて、「お前はどこの者だ。そこの境小屋が見えないのか。お前もマタギなら勝手に他の領内で猟はできないことは知っているだろう。」と佐多六を捕まえようと詰め寄ってきた。佐多六は、しまったと思い鉄砲を振り回して逃げようとし、シロも主人を助けようと5人に向かって吠えたが、相手は5人であったためかなうはずはなかった。

 

佐多六はとうとう捕まえられて、無理やり三戸城に引っ張られていった。シロは、その後をこっそりとついて行った。牢屋に入れられた佐多六は、あの天下御免の巻物を忘れて来たことを後悔し、他の領内で狩猟をした罪のため明日にも打ち首になるかもしれないと思い、ため息をついたり涙をこぼしたり悔しくて仕方がなかった。

 

牢屋のそばに忍び込んだ主人思いのシロは、やつれた主人を見ると、「ワン」と一声吠え、暗い雪の道を草木へ向かって一目散に走りだした。

そのころ、佐多六の妻は、佐多六が3日も帰って来ないため心配して神様に祈っていたところであった。

シロは、山や谷を走りに走り、草木にやっと到着すると、まるで火がついたように吠えた。村人は、雪だらけになって帰ってきて吠えるシロを見て、何があったのかをなだめて聞こうとしたが、吠えるばかりのシロの状況からは何があったのかは理解できなかった。シロは、村人に理解してもらえないためどうしたらいいかわからず、食う物も食わずにす ごすごと主人のもとへと帰っていった。

 

シロは再び遠い山道を越え、佐多六の所へ戻った。佐多六は帰って来たシロを見たものの、待っていた巻物が届けられずがっかりした。しかし、力をふりしぼって、「シロ、ほら、あの巻物わかっているだろう。竹筒に入れている巻物だ。仏さんの引き出しに入れている巻物を持って来ておくれ。それがあればおらは助かるんだ。シロたのむ。」と言った。

 

牢屋の中で、涙をためて言う佐多六のことばを黙って聞いていたシロは、やっと主人の気持ちを理解したのか「ワン」と大きく一声吠え、また草木へ向かって雪の中を走って行った。

草木へ着いたシロは、前よりももっと吠えた。ありったけの力をふりしぼって、仏壇に向かって吠えた。佐多六の妻は、ハッと思い急いで引き出しを開けて見ると、佐多六が猟に出るときにいつも持ち歩いているはずの巻物がそこにはあった。妻は顔色がサッと変わり「これだ、この免状だ。」と言い、ふるえる手で巻物の竹筒をシロの首にしっかりと結 ぶと、「シロ、頼む。届けてくれ。」とシロの背中をなでてシロを見送った。

 

シロは疲れも忘れ、牢屋にいる主人の佐多六のために、雪の来満街道を、再び三戸に向かって夜通し走り続けた。来満峠を越えたときには、三戸の空が白々と明けてきた。

その頃、佐多六はシロが巻物を持って帰ってくるのを一生懸命待っていた。しかし、とうとう時間に間に合わず、夜明の鐘が鳴るとき、佐多六の命はこの世から消えてしまった。シロが命懸けで牢屋に着いたときは、主人はこの世の人ではなくなっていたのだった。処刑場に横たわっていた佐多六を見て、シロはとても悲しみ、しばらく死んだ主人のそばについていた。

 

それから何日かして、シロは三戸城が見える大きい森の頂上に駆け登り、三戸城に向かって恨みの遠吠えを幾日も幾夜も続けた。この森は今でも「犬吠森(いぬぼえもり)」と言われている。 その後間もなく、三戸には地震や火事など、災難が続き、町の人々は佐多六のたたりだと恐れた。

やっとのことで草木に着いたシロは、途中食べる物もなく寒さと疲れのため、とてもやつれた姿であった。

佐多六の犯した罪のために、お上のとがめを受けた一家は村に住むことができなくなり、村から出ることになった。佐多六の妻とシロは、南部領の草木から秋田領の葛原(現在の大館市句葛原)というところに移り住み、村人に親切にされて暮らした。そして、葛原で暮らしたシロはいつからか、「老犬さま、老犬さま」と呼ばれるようになった。

 

あるとき、村人が馬に乗り、村はずれのあたりを通ったとき馬が驚き、どうしても歩けなくなってしまった。不思議なことだと思い、その周辺を探してみると、シロが死んでいた。あわれに思った村の人々はシロの亡きがらを村はずれの南部領の見える丘に埋めてやった。

その場所は、現在でも“老犬神社”として、村の人々に祭られている。

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